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東京高等裁判所 昭和34年(う)618号 判決 1962年12月26日

被告人 大津健一 外三名

主文

原判決中被告人大津健一に関する有罪部分及び被告人高田与六に関する部分を破棄する。

被告人大津健一を無期懲役に、被告人高田与六を懲役参年に各処する。

被告人高田与六に対し原審における未決勾留日数中百五拾日を右本刑に算入する。

但し被告人高田与六に対し本裁判確定の日より五年間右刑の執行を猶予し、その期間同被告人を保護観察に付する。

押収にかかる短刀一口(東京高等裁判所昭和三四年押第二一六号の二〇)、日本刀一振(同裁判所同年押第二一七号の一)、カービン銃一丁、廻転式五連発拳銃一丁、カービン銃実包十四発、拳銃実包七発、カービン銃弾倉二個(同押号の五ないし九)、切出一丁(同押号の二)は、これを被告人大津健一から没収する。

被告人山県源太郎、同山本昌明の各控訴はいずれもこれを棄却する。

被告人山県の当審における未決勾留日数中五百日を同被告人に対する原判決の刑に算入する。

(訴訟費用の裁判略)

理由

被告人大津健一の控訴趣意の第二章ないし第八章について。

所論は、先ず、原判決は、「松戸部隊においては、調査の結果被告人等の提出した酒保参加申請書の内容に偽りがあつたことを理由として右申請を不許可とした」と判示して、如何にも被告人等が申請書に偽りの記入を為したため、これが不許可の理由となつたもので、不許可の責任は被告人等にあるが如く判断しているけれども、もともと申請書に申請名義人として仮空の岩崎商会と記入したものは岩崎金平であつて、被告人等はこれを知らずして松戸部隊に提出し、松戸部隊においては調査の結果申請書記載の肩書地に岩崎商会が存在しないため不許可にしたものであるから、不許可の理由も、これについての責任も岩崎にあるものであつて、これを被告人等に帰せしめた原判決には事実の誤認があると主張する。しかしながら、原判決挙示の証拠に依れば、酒保参加申請書(記録五二二丁参照)作成当時、被告人大津は、酒保の権利は百パーセント大津の顔でとれる、申請書は一応形式的に出すに過ぎないのであつて、申請人の資格調査の如きことはないと言明していたこと、岩崎金平は申請人として岩崎商会と表示すべきことを主張し、その事務所所在地としては連絡の都合上、積田浩の経営するカスモ商会の所在地である東京都中央区日本橋通二丁目七番地と記載することとし、被告人大津もこれを諒承したこと、申請書はタイプライターにてうたれ、岩崎商会の代表者としての岩崎金平、大津健一、積田浩の各記名の下には同人等がそれぞれ押印し、これが被告人等によつて松戸部隊に提出せられたこと、然るに大津の右言明に反し、松戸部隊にては申請書記載の岩崎商会の所在地につき調査を実施したため、岩崎商会が存在しないことが判明したこと、結局松戸部隊は右申請を不許可としたことを認めることができるのであつて、これによつて原判決の判示するところを見ると、原判決は不許可の責任が岩崎或いは大津のいずれにあるかの問題には一切触れることなく、只単に申請書の内容に虚偽の記載があつたため申請が不許可になつた経緯を判示したに過ぎないことが明らかであるといわねばならないし、かつその事実は前記説明の如く証拠により認め得るところであるから、原判決には所論の如き事実の誤認は存しない。

所論は、また、原判決は「岩崎殺害後に証拠となるものをあとに残さないため、同人の所持品を点検するうち、金品を発見したので、ここに被告人両名共謀の上同人からこれらを強奪してから殺害しようと企て」と判示しているので、小切手も証拠となるものを残さないために同人の所持品を点検する内、発見したということに帰するけれども、小切手を発見したのは、同人にも差し入れた預り証が気になり同人所有の書類等を読んでいる内に発見したものであつて、原判示の如く証拠を残さないために、その所持品を点検していたときのことではないと主張するところ、原審第二十二回及び第三十四回公判調書中の被告人大津の供述記載によれば、被告人等は、所論の預り証を岩崎の所持品中にそのまま残しておくことは後日証拠となるおそれがあるため、これを取り返えしておこうと考え岩崎の所持品を点検中、小切手帳を発見した旨供述している位であつて、右各供述と原判決挙示のその他の関係証拠を総合すれば、小切手帳は岩崎殺害後に証拠となるものを後に残さないために同人の所持品を点検中発見したものであることは明らかであるから、原判決には所論の如き事実の誤認は存しない。

所論は、また、被告人等は現金、指環、腕時計を強取したことはない。被告人等は岩崎の衣類等を焼却するに先だちこれ等を点検しているとき現金五、六千円(原判示の如く一万円位ではない)が出てきたので、現金迄焼く必要はあるまいということで応接間の傍の机の上に退けておき、指環と腕時計は金属で火に焼けないために、翌日他の品物と一緒に捨てに行く予定で机の上に置いたのであつて、何れも被告人等においてこれを取得する意思はなかつたと主張する。しかしながら所論の現金(この金額が原判示の如く約一万円であつたことは、被告人山県の原審第二十六回公判調書中の供述記載部分並びに被告人大津の原審第一回公判調書中の供述記載部分及び被告人大津の司法警察員に対する昭和二十九年八月二十四日付供述調書中の記載により、これを認めることができる。)は、前記の如く岩崎殺害後に証拠となるものを後に残さないために同人の所持品を点検するうち発見したものであるが、被告人等は衣類等はこれを焼却して了つたが、現金等は焼く必要はないといつて焼却するものとは別にし、領得の意思を以て傍の机の上に置き以てこれを強奪したことが原判決挙示の証拠により認定し得るので、被告人等は現金につき領得の意思がなかつたといい得べき筋合ではない。次に所論の指環及び腕時計は、岩崎の衣類及び所持品等を殆んど焼却し了つた後に岩崎の手からこれを外して強取したことが、原判決挙示の証拠によりこれを認めるに十分である。所論は指環及び腕時計は捨てる予定であつて領得の意思はなかつたと主張するけれども、被告人大津は司法警察員及び検察官に対しても、被告人等が岩崎より指環及び腕時計を強取したことを自認している(被告人大津の司法警察員に対する昭和二十九年八月十四日及び同月十八日付、並びに検察官に対する同月二十六日付各供述調書参照)のみならず、記録によれば、同被告人は、昭和二十七年十一月末か同年十二月始頃、知人有座猛に対し他に売却方を依頼して、右指環及び腕時計を一週間位も預けたことがあつたが売却することができなかつたので、その後被告人が腕時計は東京都中央区銀座一丁目時計商浜村安太郎に金一万七千円位にて、指環は同二十八年二月十一日頃大分県別府市の知人の青柳栄次に金四千円位にて、それぞれ売却したことが認められる位であるから、右指環及び腕時計についても、被告人等に領得の意思がなかつたものとはいわれない。然らば被告人等は共謀の上、岩崎金平から、原判示小切手の外、現金一万円位、指環、腕時計等も強取したことは明らかであるから、原判決には所論の如き事実の誤認は存しない。

その他所論は、種々の理由を掲げて原判決の事実の誤認を主張するところ、所論に徴し記録を精査検討し、且つ当審事実取調の結果に照らしても、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認の廉は存しない(所論は、原判決が被告人等の岩崎金平に対する詐欺事件につき判断するに当り「当時被告人等の運動の如何によつては、酒保開設の権利取得は殆んど確実であつたことが客観的にも認め得られないわけではないので」と判示して被告人等に不許可の責任を負わしめたことは誤判である旨主張するけれども、右詐欺事件については、原判決は犯罪の証明がないとして無罪の言渡を為し、右無罪部分はそのまま確定しているのであるから、原判決が無罪の理由の説明に当り所論の如く判示しても、これにつき当裁判所において兎角の判断を為すべき限りではない。)所論は要するに、独自の見解に立ち、事理経験の法則に従つて事実の認定を為した原判決を攻撃するものであつて、もとより採用の限りではない。論旨はすべて理由がない。

被告人大津健一の控訴趣意の第十章及び同被告人の弁護人義江駿、同水谷勝人の控訴趣意の第二点について。

所論は、なかんずく、本件殺人の決意の時期は、強盗の決意の時期の以前であつて、本件金品の取得行為は殺人を手段としてなされたものではないので、本件は強盗殺人罪を以て論ずべき場合でなく、殺人と強盗の想像的競合である旨主張するので按ずるに、被告人大津、同山県が岩崎金平を殺害すべきことを共謀し、岩崎の殺害に着手せんとして、先ず同人に原判示の如く暴行脅迫を加えてその反抗を全く抑圧したところ、その後前記の如く小切手帳、現金指環、時計等を発見したので、ここに被告人両名は更めて岩崎が右の如く全く抗拒不能の状態になつたことを利用して、同人から先ずこれら金品を強奪し、その後殺害することを共謀し、原判示の如く、先ず岩崎に強いて小切手を作成せしめて強奪し、次いで現金、指環、時計等を強取した上、同人を殺害するに至つたことが、原判決挙示の証拠により認定し得るから、本件は強盗犯人が強盗の機会に人を殺害した場合に該当し、強盗殺人罪の責を免れることはできないものというべく、従つて原判決が被告人大津、同山県の本件所為につき刑法第二百四十条後段の規定を適用処断したことは洵に正当である。

その他所論に徴し、記録を精査検討しても、原判決には所論の点において、事実の誤認も、法令適用の誤も存在せず、論旨引用の判例は本件には適切でない。各論旨は理由がない。

被告人山県の控訴趣意(量刑不当の主張を除く)及び控訴趣意追加補充、同被告人の弁護人石川勲蔵の控訴趣意の第一点及び第二点、並びに同弁護人岩村隆弘の控訴趣意の第一点について。

按ずるに、被告人大津、同山県の共謀にかかる原判示岩崎金平に対する強盗殺人の事実は、その証明あること前記説明のとおりである。

各所論は、右強盗殺人事件について、被告人山県は、被告人大津と原判示の如く金品の強奪及び殺害を共謀したことはない。またその共謀につき原判示の如き動機もなく、これを認むべき証拠もない、本件は被告人大津が単独にて多額の金員を強取するために、岩崎金平の殺害を企図した計画的犯行である、被告人山県は、被告人大津の言により、その兄大津至が岩崎に対し原判示十四万円の支払を為すものと信じ、岩崎と共に大津至方に赴いたところ、被告人大津は、右計画の実現に当り、被告人山県に対しその手伝をさせるために、突如ブローニング自動拳銃を突き付け、且つ殴打、足蹴りにする等の暴行脅迫を加えたので、被告人山県は、被告人大津の命に従わなければ殺されるかも知れないと生命の危険を感じ、已むを得ず大津の命ずるままに、岩崎殺害の実行行為を手伝つたに過ぎない、また、被告人山県は原判示小切手等の強取には何等関与していないから、原判決には事実の誤認があると主張し、縷々その理由につき陳述するけれども、前記証拠、なかんずく原審第二十一回ないし第二十三回、第三十三回ないし第三十五回公判調書中、被告人大津の供述記載部分並びに、被告人山県の検察官に対する昭和二十九年八月四日付及び同月十七日付各供述調書の記載(但し被告人山県の供述は後記認定と異る部分を除く)に徴すれば、岩崎金平は昭和二十七年九月十一日原判示の警察予備隊松戸駐屯部隊の部隊長に面会した後、被告人大津、同山県より当初からだまされていたものと思い込んで極度に憤慨し、その後殆んど連日原判示交付金の返還方を厳重に督促し、その間多数の客が居合せた喫茶店において、被告人両名に対し泥棒呼ばわりをしたため、これに憤激した被告人山県は岩崎に対し暴力に訴えんとするが如き険悪な状態が発生したこともあり、遂に岩崎は、もし即時返済がないときは告訴も辞さないという強硬な態度に出で、知人の法務総裁の氏名をも持ち出し、二人共刑務所に入れてやるというようなことをいつたので、被告人等は告訴された場合の対策につき種々考慮しながら、岩崎を宥めることに努力し、金員返済方法につき各種の方策をとつたが、岩崎の態度は依然変らず、同年十月八日岩崎は被告人大津に対し電話を以て原判示の如く通知して来たので、ここにおいて被告人両名は、その対策に苦慮困窮し、原判示大津至方における被告人大津の住居において種々協議したが、結局岩崎の性格、従来の態度より判断し、また松戸部隊も動き出した形勢があることを考えると、たとえ被告人等が受け取つた運動費を返還しても、岩崎は告訴を為し、偽部隊長を探し出し、被告人等を刑務所に入れて溜飲を下げる方法をとるに違いないとの結論に到達し、且つは岩崎の従来の態度に対する反感と報復の念にかられて、最早かかる瀬戸際に追い詰められた以上、むしろ機先を制して、攻撃を加えるに如かずと考えるに至り、遂に右被告人両名は岩崎を殺害すべきことを共謀したこと、しかして殺害の場所としては、松戸部隊附近、又は、熱海市西山の岩崎の住居附近を選び、拳銃を以て射殺すべきことを考えたが、いずれも発覚の虞が多いところから、結局被告人大津が居住していた前記大津至方において絞殺の方法によることにきめ、尚岩崎の殺害に当つては外に被告人大津所有の拳銃及び短刀等をも用意しておくこととし、死体処理用として、菰、荒縄を購入する等の準備を整えたこと、よつて被告人等は右共謀に基き同月九日岩崎を大津至方に誘致せんとしたが失敗に帰し、翌十日正午過頃、右大津至方に誘致した上、同家応接間において、岩崎に対し原判示の如く交交、暴行脅迫を加えて同人の反抗を全く抑圧するに至つたこと、被告人等の当初の予定は岩崎を誘致し、直ちに殺害することにあつたが、死体処理の都合等を考慮して、これを夜間まで延期することに変更したので、その間岩崎に対し予て差し入れていた被告人等名義の預り証を同人殺害後証拠として残さないために処理しようと考え、同人の所持品を点検していたところ、小切手帳を発見したので、小切手を以て岩崎の銀行預金を引き出すことを考え、ここに被告人等は更めて岩崎が右の如く全く抗拒不能の状態になつたことを利用して同人に小切手を作成せしめてこれを強奪した上で同人を殺害することを共謀し、原判示の如く岩崎に強いて額面十二万円の小切手一通を作成せしめて強取し、次いで前記の如く原判示現金一万円位(千円札にて十枚位)並びに腕時計一個、金指環一個を順次強取した後、同日午後十時頃原判示の如く同人を、絞殺し、よつて殺害の目的を遂げたことを認めることができるから、本件岩崎金平に対する強盗殺人の行為は、被告人山県が被告人大津と共謀の上敢行したものであることは明らかである。記録並びに当審事実取調の結果に徴しても、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認も、所論の如き理由不備の違法も存在しない。

次に所論は、岩崎金平に対する殺害及び強盗の行為は被告人大津の単独の計画的犯行である、その理由として、被告人大津、同山県は、昭和二十七年十月十日上野松坂屋附近において岩崎を待ち合せた上、同日正午頃同人と連れ立つて、原判示大津至方に赴いたのであるが、それより前被告人大津は岩崎を待つている時、岩崎に小切手を書かせこれを強取しようと思つていたので、予め同日午前中新宿の二幸食料品店に勤務中の町山芳枝に電話をかけ、銀行にて小切手金の払戻手続をしてくれるように依頼していたものであると主張するので、按ずるに当時二幸に勤務していた町山が大津から電話にて小切手を現金化するよう依頼を受けた時刻、及び同人が勤務先から外出し小切手を現金化するため銀行に赴いた時刻についての同人の捜査官に対する或いは原審公判廷における証人としての供述は区々に分れ、果してそのいずれが真なりや、その供述のみにては確定し難きところ、この点について、被告人大津の原審公判廷における供述に徴すれば、被告人等は右十月十日午後岩崎を禁縛した後、同人より小切手等を強奪の上殺害すべきことを共謀したが、その強奪にかかる小切手を現金化するに当り、被告人等自ら銀行の窓口に行くことは、犯罪発覚のおそれがあるところから、第三者を使うことを協議し、被告人大津は、右協議に基き、同日午後町山芳枝に電話をかけて、同女を呼び出し、強取にかかる原判示額面十二万円の小切手を持参して千代田銀行下谷支店に至り、同女をして右小切手金の支払を受けしめたことを認めることができる。従つて町山芳枝の検察官に対する昭和二十九年八月二十七日付供述調書に、町山は昭和二十七年十月頃の午前中大津から依頼の電話があり、同日午前十一時頃二幸を出て銀行に赴き小切手を現金にかえ、午後一時か二時頃店に帰つたときの記載あるをとつて以て、被告人山県の主張するが如く、被告人大津が岩崎金平を大津至方に誘致する以前に岩崎に小切手を書かしめることを考えていたとか、或いは同人より小切手を強取する意思を有していたとかの事実を認定する証拠ともなし得ない。その他記録に徴するも右主張事実はこれを認め難く、また、小切手強取は被告人大津の単独犯行であるとの事実をも認め得べき筋合ではない。尚町山芳枝の司法警察員に対する昭和二十九年七月二十七日付供述調書によると、被告人大津は昭和二十七年十月頃(但し同女が被告人大津の依頼に基き小切手金の支払を受けるために千代田銀行下谷支店に赴いた日より以前)右町山に対し、百万円近い取引をやつているので近い内に金がはいるから銀行に取りに行つてくれというようなことをいつたことは認められるけれども、これを以て直ちに所論の如く被告人大津が既に金員強取の意思を有していたものとは認めることはできない。然らば、被告人等が岩崎の金品を強取する意思を生じたのは前認定の如く、岩崎の所持品を点検中小切手帳を発見した後であるといわなければならない。

所論はまた、被告人山県は被告人大津から暴行、脅迫を加えられたため、大津の要求に応じなければ殺害せられるものと思い、已むを得ず大津の命ずるままに岩崎殺害の手伝をしたに過ぎなかつた。しかるに、原判決は被告人大津の虚偽の供述を採用した結果事実誤認の過誤をおかし、被告人山県も共犯者である旨認定したものであると、主張し、被告人大津の供述の信憑性に欠ける理由につき、縷々陳述するので、按ずるに、記録に徴すれば、被告人大津は原審公判廷において、原判示強盗殺人の事実と大略同趣旨の供述を為しているのに反し、被告人山県は昭和二十九年八月初旬逮捕せられ同月六日司法警察員に対し、被告人大津に脅迫せられたため已むを得ず岩崎殺害の手伝を為した旨供述し、爾来捜査官及び公判廷における取調に当つても、被告人大津から暴行、脅迫を加えられたので、自己の生命の危険を避けるために、已むを得ず岩崎殺害に手を貸したものであると供述し、被告人等の供述が全く対立していることは所論のとおりである。よつて先ず被告人大津の供述の信憑性につき検討するに、記録を精査検討すると、被告人大津が捜査官の取調(尤も原審は被告人山県に関しては被告人大津の捜査官に対する供述調書を証拠調せず、また、原判決もこれを証拠に引用していない)及び原審公判廷において、本件犯行の動機、岩崎を禁縛し、これを殺害するに至る迄の経緯、殺害の方法、その間においてなした証拠の湮滅等の行為に関して供述するところは、極力自己を弁護せんとするところが見受けられ、従つて極く些細の点についてまでは総べて信用し得るものとは認められないけれども、これがため、敢えて他を誹謗し、白を黒と強いて事実を曲げて供述している点は見受けられず、またその供述内容に矛盾撞着も、不合理、不自然なところも存しないことが認められるから、被告人大津の捜査官に対する供述及び原審公判廷における供述に所論の如き信憑性が欠缺するものありとはいえない。従つて原判決が同被告人の原審公判廷における供述を事実認定の資料に供したことは洵に正当である。(尚被告人山県は、被告人大津が第一審における証拠調の前半において事実に関して詳細に記載した上申書を裁判所に提出したので、裁判官に不当な印象、心証を与え、結局原裁判所をして事実誤認の過誤を犯さしむるに至つたといつて、証拠調の方法に関して違法があるとの趣旨の主張をしているが、なるほど被告人大津が詳細なる上申書を提出していることは、所論のとおりであるが、これがため原審裁判所が、所論の如き不当な先入観或いは心証を得ないしは証拠調の方法につき法律に違反し延いては事実の認定を誤り、又は偏頗な裁判をしたものとは、記録に徴し認められない。)次に記録に徴し認められる、被告人大津と同山県とが昭和二十五年十二月頃より交際を始め、殊に原判示松戸部隊における酒保の開設に関する運動、また両名が相携えて岩崎と折衝を続けていた顛末、経過、その他記録に現われた被告人両名の緊密な交友関係(被告人大津の供述によると、被告人山県とは互に健ちやん、源ちやんと呼び合つていたということであり、また、原審証人小笠原貞吉の証言によれば、被告人大津は同証人に対し、被告人山県を大津の舎弟といつて紹介したことが認められる)に照らすと、被告人大津が被告人山県に対し所論の如き暴行、脅迫を加えて岩崎の殺害行為を強いて手伝わせたということは輙く信を措き難く、また、被告人大津は岩崎を禁縛後二回も外出しており(その内第二回目は被告人大津が千代田銀行下谷支店に行つた場合であつて、被告人山県の供述によつても、三、四十分かかつたといい、被告人大津は三時間位もかかつたと供述している)且つ被告人山県は、岩崎の衣類等を庭先において焼却するために原判示応接間より出たことも屡々あつて、その間被告人大津の身辺より他に逃走する機会も十分あつたことが認められるのに拘らず、(被告人山県は常に原判示大津方に出入していたので、同日屋外には所論の如く被告人大津の命じた見張りの者が存在する等と信じていたものとは到底認められない)、被告人山県が被告人大津の命に従わなければ自らも殺されるのではないかと心配しながら、同日午後十時頃岩崎を殺害するに至るまで、便々大津至方に止つていたというが如きことは、通常人の常識を以てしては到底理解し難いところといわなければならない。しかのみならず、被告人山県の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、並びに被告人山県の原審公判廷における供述によれば、被告人山県は岩崎殺害の翌日には態々その間借先である渋谷区代々木山谷町のアパートより原判示大津至方に赴き、被告人大津と共謀の上原判示死体遺棄の犯行を敢行し、その帰途には旅館を探し求めた末、被告人大津と共に沐浴して身心を清めており、また右死体遺棄の翌日頃には被告人大津より原判示ブローニング自動拳銃を受取り、これを数日間、銀座の名川法律事務所に預けたこともあり、その後も同二十七年十二月三十一日東京を出発して本籍地に帰る迄の間屡々被告人大津と会つて交際を続け、右事件についても話合い、被告人大津から、「山県さえいわなければ岩崎の件は証拠はないし絶対に発覚しない」といわれたこともあつたことが認められるところであつて、以上の諸事実に、記録並びに当審事実取調の結果に現われた諸般の事情を彼此考量すると、被告人山県が前示の如く供述するところは輙く信を措き難いものといわなければならない。これを要するに、被告人山県は被告人大津から暴行脅迫を加えられたために、己むを得ず岩崎の殺害行為に手を貸したに過ぎないとの主張は、被告人山県の単なる弁解に過ぎないと解するの外はないので、これを採用するに由なく、従つて被告人山県の本件所為を以て所論の如く期待可能性の有無を以て論じ得る場合に該当するものといえないことは勿論、所論の如く従犯を以て論じ得る場合にも該当しない。その他記録を精査、検討し且つ当審事実取調の結果に照らしても、原判決には所論の如き事実の誤認は存在しない。論旨は総べて理由がない。

被告人山本昌明の弁護人赤司卓治の控訴趣意第一点及び第二点並びに被告人高田与六の控訴趣意(量刑不当の主張を除く)、同被告人の弁護人岸達也の控訴趣意第一点、第三点及び第四点について。

所論は先ず、被告人山本は原判示被害者斎藤渡、同栄子に対する金員の強奪及び監禁については何等その実行行為に関与せず、また、その共犯者でもないと主張するところ、原判決が被告人山本に関する原判示犯罪事実認定のために挙示した証拠並びに被告人大津の司法警察員に対する昭和二十九年七月二十六日付供述調書(記録一六八四丁)、被告人高田の司法警察員に対する同年六月二十三日及び同年七月三十日付各供述調書、原審相被告人丸山四郎の司法警察員に対する同年七月六日(記録一九〇六丁)及び同月二十九日付各供述調書、被告人山本の司法警察員に対する同年七月六日及び同月二十九日付各供述調書の記載に徴すれば、被告人大津は原判示の如く金策に窮したところから、東京都千代田区有楽町三信ビルに事務所を有する貿易商エリス・エス・ルーベンより金員を強奪することを企て、その方法として同人を右事務所より同都新宿区信濃町所在の同人の住居に至る道筋等において捕え、被告人大津の住居である原判示大津至方迄連行した上監禁し、暴行脅迫を加えてルーベン所有の金品を強奪することとし、右の用途に供するためカービン銃及び拳銃等を用意したが、被告人大津単独にては成功を期し難いところから、昭和二十九年五月二十四日頃被告人山本に対し、右翼の活動資金を作るために協力あり度いといつて、右ルーベンを監禁して金品を強奪すべき旨誘つたところ、被告人山本の賛同を得たので、同日頃から、被告人大津、同山本の両名が、更に同年六月四日頃には被告人大津が被告人高田及び丸山四郎にも前同趣旨のことを申し向けて協力方を求め、その賛同を得たので、同日頃からは被告人高田及び丸山も参加して被告人等四名の者が、前示カービン銃等を用意して被告人大津の自動車に乗り込み、同年六月十三日午前中に至る迄の期間殆ど毎日、ルーベンを前示信濃町の住居に至る道筋等において追尾し、これを監禁する機会を伺つたが、未だその目的を達するに至らなかつたこと、その間ルーベンを監禁することが容易でないところから、被告人大津は、原判示斎藤渡をルーベンに対する計画と同様に監禁して保安庁の公金を奪取しようと企てるに至り、同月十一日頃被告人山本、同高田及び丸山に対し、ルーベンの場合と同様に右翼の資金の入手のために称して右計画を打ち明けて協力方を求めたところ、被告人山本、同高田及び丸山もこれに賛同したこと、よつて被告人山本、同高田等四名は右共謀に基き、同年六月十三日原判示の如くカービン銃、拳銃等を積み込んだ自動車に乗り込み、被告人山本が運転し、同日午後一時頃原判示斎藤渡方より同人塔乗の自動車を追尾したところ、途中同人の妻栄子も右自動車に乗り込み同人と行動を共にするに至つたため、更に被告人等四名は共謀の上斎藤栄子をも夫渡と同様に取り扱うもやむを得ずとなし、同日午後七時過頃原判示日赤病院附近から右斎藤夫妻を被告人大津の自動車に誘い込み、大津至方に連行した上、原判示強盗、監禁の所為に出でたことを認めるに十分である。然らば本件においては、所論の如く原判示共謀の事実がなかつたと主張し得べき筋合ではないことが明らかであるのみならず、被告人山本が被告人高田、同大津等と斎藤夫妻に対する原判示強盗及び監禁の犯行を共謀した以上(のみならず被告人山本は本件監禁については自らその衝に当つていることが原判決挙示の前示関係証拠によつて認められる)、たとえ被告人山本が自ら斎藤栄子及び同渡より原判示物件を強取する実行行為は分担しなかつたとしても、被告人山本は本件強盗及び監禁の罪につきその責を免れることはできない。

尚、岸弁護人は、原判決挙示の証拠を以てしては、原判決摘示事実中被告人高田が原判示三名と本件監禁及び強盗を共謀したとの事実は認めることはできない、また、被告人高田はかかる共謀をした事実はないから、原判決には理由の不備及び事実の誤認の違法があると主張する。しかしながら、原判決が被告人高田の原判示犯罪事実認定のために挙示した証拠(所論の被告人大津の検察官にする各供述調書は、原審裁判所において被告人高田及び同被告人の弁護人が証拠とすることに同意し適法に証拠調を了したものであつて、その記載内容が所論の如く信憑性に欠けるものとは記録に徴しても認められない)によれば、所論の共謀があつた事実を認めるに十分であるから、原判決には所論の如き理由不備の違法及び事実誤認の過誤があるということはできない。

しかして原判示強盗及び監禁の事実が、被告人山本、同高田外二名の共謀に基く以上、被告人山本、同高田は共同正犯の責任を免れず、各所論の如く幇助罪を以て論じ得べきものではなく、また、記録を精査検討しても、被告人山本、同高田の本件所為が、所論の如く緊急避難に該当するものとは到底認めることができないことは、原判決も判示するとおりであるから、所論はいずれも採用に値しない。その他各所論に徴し、記録を精査し且つ当審事実取調の結果に照らしても、原判決には所論の如き事実の誤認も、法令適用の誤も、理由不備の違法も存しない。論旨は総べて理由がない。

被告人高田与六の弁護人岸達也の控訴趣意第二点について。

所論は、先ず原判示斎藤渡、同人妻栄子に対する暴行、脅迫も不法監禁も一体として観察し、包括的に強盗罪を構成するものであるから、不法監禁罪は成立するものでないとの旨主張するので按ずるに、原判決の認定するところによれば、被告人高田は外三名と共謀の上斎藤夫妻を監禁し、これに暴行、脅迫を加えて金員を強取しようと企て、原判示の如く斎藤夫妻より金品を強取し且つ監禁したというのであつて、斎藤夫妻に対し強盗の目的のために暴行脅迫を為したことは勿論のこと、不法監禁のためにも暴行脅迫の手段を用いたことは原判決の認定するところであつて、原判決挙示の関係証拠に徴すれば、強盗のために為された暴行脅迫と、不法監禁のために為された暴行脅迫とは、全く別個のものと認められないことはないから、不法監禁罪は強盗罪とは別個の犯罪を構成するものといわなければならないので(昭和二八年一一月二七日最高裁判所第二小法廷判決、判例集七巻一一号二三四四頁趣旨参照)、所論は到底採用するに由なく(所論は被告人等は昭和二十九年六月十六日迄強盗の意思を有していた旨主張するけれども、被告人高田等は同月十四日午前中において斎藤夫妻に対する強盗の所為を完了していることは原判決認定のとおりである)、この点において原判決には事実の誤認も法令適用の誤も存在しない。

所論は尚仮りに包括一罪でないとしても、斎藤夫妻を不法に監禁したことは同夫妻より金品を強取するための手段であるから、刑法第五十四条第一項後段により牽連一罪を以て処断すべきものであると主張してその理由を述べているけれども、苟くも財物強取の意思を以て被害者に暴行脅迫を加えその反抗を抑圧した上財物を強取すれば強盗罪は成立するものであつて、強盗を為すために予め態々不法監禁をすることが所論の如く強盗に直接且つ必要な手段として普通用いられる行為とも認められないので、本件の不法監禁と強盗とは全然別個独立の犯罪として成立するものというべく、これを以て所論の如く牽連犯を以て律すべき場合でもない。所論引用の判例は本件には適切でない。論旨はいずれも理由がない。

被告人高田与六の弁護人岸達也の控訴趣意第五点について。

しかしながら、所論の小林正誉の検察官に対する供述調書(国庫金送金請求書写二葉、持参人小切手振出調一葉添付)及び宇佐川正士の司法警察員に対する昭和二十九年六月十六日付供述調書は、原審第二回公判期日(昭和二十九年十二月六日)において検察官より証拠調の請求があり(記録一〇八丁、一二四丁)、次回の第三回公判期日(昭和三十年一月二十五日)において、被告人高田の弁護人岸達也の同意の下に適法に証拠調がなされたこと(記録二一三丁)が記録に徴し明らかであつて、右各供述調書が作成されたときの情況に相当性が欠けるものがあるとは認められないので、原判決がこれら調書を証拠として採用したことは洵に正当である。然らば原判決には所論の如く公判において証拠調を為さざる供述調書を断罪の資料に供した違法は存在しない。所論引用の判決は本件には適切でない。論旨は理由がない。

被告人大津健一の控訴趣意の第九章、同被告人の弁護人義江駿、同水谷勝人の控訴趣意の第一点、被告人山県源太郎の控訴趣意(量刑不当の点)、同被告人の弁護人石川勲蔵の控訴趣意の第三点、同弁護人岩村隆弘の控訴趣意の第二点、被告人山本昌明の弁護人赤司卓治の控訴趣意の第三点、被告人高田与六の控訴趣意(量刑不当の点)、同被告人の弁護人岸達也の控訴趣意の第六点について。

先ず被告人大津関係につき按ずるに、同被告人に対する原判示各犯罪事実の罪質、犯罪の動機、態様、結果に徴すれば、被告人大津の本件犯行は極めて悪質であつて、その罪責が甚だ重いことは多言を要しない。原判示犯行中岩崎金平に対する事件は、被告人山県と共謀して、巧妙なる計画の下に遂行せられ、その犯行に当つては、右被害者の手足を禁縛し、猿轡をかませ長時間に亘り同人の抵抗を全く不能ならしめ、その間犯跡隠蔽のため同人の着衣等を殆んど焼却し、また原判示金品を強奪し、最後にこれを殺害した上、その死体を原判示マンホールに遺棄したものであるから、洵に残忍酷虐の誹を免れず、また斎藤渡同栄子に対する事犯は、保安庁の公金を多額に獲得するために為された利欲に出でた犯行であつて、カービン銃、拳銃等を所持して、多数人共同の下に遂行せられ、しかも右斎藤夫妻を四日、三晩の長期に亘り監禁したものであつて兇悪且つ大胆不敵な犯行であることは多言を要しない。しかも同被告人には他に原判示クルバンガリーに対する詐欺、同未遂事件があり、また、原判示の確定判決(懲役八年)を経た罪もあるので、被告人大津の罪責に更に重きを加えるものといわなければならない。

所論は、種々理由を挙げて被告人山県の科刑と比較し、原判決の刑は重きに過ぎると主張するので、按ずるに、記録並びに当審事実取調の結果に徴すれば、被告人大津、同山県が昭和二十七年八月初旬頃より原判示の如く酒保開設の件に関し出資を求めるため岩崎金平との間に交渉を継続したとき、被告人等は一体となつて折衝したものの、もともと酒保開設の件は被告人大津の原判示職歴を利用するところが多かつたため、勢い被告人大津が主導的立場において岩崎との折衝等に当つたことは明らかであるけれども、同年九月十一日に至り岩崎が松戸部隊の部隊長に面会した後、被告人等に対し憤慨して強硬な態度をとるようになり、その後両名の苦悩困憊、及びこれに対処するため講じた前後措置を協議したその顛末経過、次いで同年十月八日被告人等が岩崎を殺害すべきことを共謀し、遂に原判示強盗殺人の所為を敢行し、その死体を遺棄した各犯罪の態様については、被告人等の犯情は相等しく、何れを主導者とし、何れを追従者とし、その間に差等を設けることは全く不可能であるといわなければならない。なるほど、記録に徴すれば、岩崎の殺害を当初言い出したものは被告人山県であり、また小切手の強取を言い出したものも被告人山県であるけれども、被告人大津は直ちにこれに同調して、岩崎殺害の場所として自宅を提供し、その所持する拳銃、短刀等も用意しているのであつて、要するに局面と日時が替る毎に、或いは被告人大津が、或いは被告人山県がそれぞれ主導者の立場にあつたことは否めないところであるが、前記各犯罪の経過、態様を通観すれば、被告人等の犯情は前示の如く相等しきものといわなければならない。しかして被告人山県には右強盗殺人と死体遺棄罪があるのみで他に何等の罪科がないのに反し、被告人大津には他に原判示の如く強盗、不法監禁、詐欺、同未遂並びに確定裁判を経た強盗傷人等の犯罪があるし、また被告人大津は、原判示斎藤夫妻に対する犯行後逃走を続け、これが社会に与えた影響も軽視することを得ないものがあることは推認するに難くないのであるが、被告人大津は逮捕されて後は潔く自白をして前非を悔い、衷心悔悟の情を現わしていること、その他所論に徴し記録に現われた諸般の情状を彼此斟酌すると、その罪責の重且つ大なることは勿論にして、原判決が同被告人に対し法定刑中死刑を選択したことは諒解するに苦しくないところではあるが、しかしながら、今ここに同被告人の一命を断つてその罪の償いをなさしむるより、死一等を減じて長くこの世に生を保ち真実の人間として生れ替りその罪の重大なることを認識すると共に、日夜故人の冥福を祈つて、その罪の償いをなさしめるのを以て、不当に軽き処置とも認められないので、結局原判決の科刑は重きに過ぎることとなり、原判決はこの点において破棄を免れず、畢竟被告人大津の量刑の不当を主張する論旨は理由があることとなる。

次に被告人山県関係につき按ずるに、同被告人にかかる原判示強盗殺人の事実が証明あること前示説明のとおりであるところ、被告人山県の原判示各犯行は、被告人大津と共謀の上、巧妙な計画の下に遂行せられたもので、その態様の残忍酷虐の誹を免れないこと前記の如くであつて、その他記録に現われた諸般の情状を総合すると、原判決が被告人山県に対し、併合罪の関係にある原判示強盗殺人及び死体遺棄の各罪中強盗殺人罪の所定刑中軽い無期懲役刑を選択し、被告人山県を無期懲役に処したことは、決して重過ぎるものということはできない。所論は本件犯行は被告人大津が計画し且つ、主犯者の地位にあつた旨主張するけれども、被告人山県の犯情が被告人大津に比し特に軽いものとも認められないことは、記録に徴し認められるところであつて、その他所論の諸事情を彼此考量し且つ当審事実取調の結果に照らしても、無期懲役刑を酌量減軽の上有期の懲役を以て処断するを相当とする情状が存在するものとは認められない。原判決の量刑の不当を主張する論旨は理由がない。

進んで、被告人山本、同高田関係につき按ずるに、被告人山本、同高田の本件犯罪が凶悪且つ大胆不敵であることは既に被告人大津の論旨につき、判示したとおりであつて、被告人等の罪責が重いことは多言を要しない。しかして、被告人山本は原判示犯罪を敢行したのみならず、前示の如く、被告人大津と共謀して、ルーベンを監禁し金品を強取せんことを企て、昭和二十九年五月二十四日頃から、本件犯行に至る迄、殆ど連日凶器を携帯してその機会を窺い、また本件犯行後にも尚被告人大津と行を共にし、その間二回に亘り他家に侵入し金品を強取せんと試みたが、いずれも失敗におわり、遂に同年七月二日には原審相被告人丸山四郎と共謀の上、被告人大津を殴打し五十万円位を奪つた事実のあることも記録上明らかであるから、被告人山本の犯情は更に重きを加えるといわなければならない。所論は原判決の被告人山本に対する科刑は右丸山四郎に比し重きに過ぎると主張するけれども、丸山四郎が本件以前に確定裁判を受けている点(昭和二十八年九月一日窃盗罪にて懲役一年、四年間執行猶予の言渡ありて、その頃判決確定)を控除すれば、被告人山本の本件の犯情は右丸山四郎に比して、むしろ重いとはいわれても軽いものとは認められないので、原判決の刑に所論の如き権衡を失する点があるものとは認められない。その他所論の総べてを参酌考量し、且つ記録を精査し当審事実取調の結果に徴しても、原判決の被告人山本に対する刑の量定は相当であつて、これを不当とする論旨は理由がない。

次に被告人高田は昭和二十九年六月三日頃肩書本籍地より上京し、右丸山四郎の紹介により被告人大津方に身を寄せたが、その翌日頃より誘われるままに、ルーベン監禁等の計画に加担し、遂に原判示犯行に及んだものであるけれども、右はようやく二十一歳になつたばかりの経験にも乏しい地方出身の被告人高田が、被告人大津及び右丸山に乗ぜられた感がないわけでもないので、この点において被告人高田には同情に値するものがあるというべく、被告人高田は原審において保釈により釈放せられるや、直ちに、郷里に帰り従前の職務に精励し、今日全く改悛していることが認められ、その他記録に現われた諸般の情状を総合すると、同被告人に対しては実刑を科するより、相当期間刑の執行を猶予して、その間保護観察に付して更生の実をあげしめるのを相当と認めるので、原判決はこの点において破棄を免れず、被告人高田の量刑不当の論旨は理由がある。

よつて被告人山県、同山本の各控訴は理由がないので、刑事訴訟法第三百九十六条によりいずれもこれを棄却し、被告人山県に対しては刑法第二十一条を適用して当審における未決勾留日数中五百日を同被告人に対する原判決中の刑に算入すべく、被告人大津、同高田の各控訴は理由があるので、刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十一条に則り原判決中被告人大津、同高田に関する部分を破棄すべく、同法第四百条但書を適用して当裁判所において直ちに次の如く判決をする。

原判決が被告人大津、同高田関係につき適法に確定した事実(被告人大津に対する確定裁判の部分をも含む)に法律を適用すると、被告人大津の原判示所為中、強盗殺人の点は刑法第二百四十条後段、第六十条に、死体遺棄の点は同法第百九十条、第六十条に、詐欺の点は同法第二百四十六条第一項、第六十条に、詐欺未遂の点は同法第二百五十条、第二百四十六条第一項、第六十条に、強盗の点は同法第二百三十六条第一項、第六十条に、監禁の点は同法第二百二十条第一項、第六十条に各該当するが、斎藤渡、同栄子に対する監禁は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから同法第五十四条第一項前段、第十条に従い犯情の重い斎藤渡に対する監禁罪の刑に従うべく、被告人大津には原判示確定裁判があり、これと右各罪とは同法第四十五条後段の併合罪の関係にあるから、同法第五十条に則り裁判を経ない右各罪を同法第四十五条前段の併合罪として処断すべく、右併合罪中強盗殺人罪につき所定刑中無期懲役刑を選択するから、同法第四十六条第二項に則り他の刑を科さずして被告人大津を無期懲役に処すべきものとし、被告人高田の原判示所為中強盗の点は同法第二百三十六条第一項、第六十条に、監禁の点は同法第二百二十条第一項、第六十条に各該当するところ、斎藤渡、同栄子に対する監禁は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、同法第五十四条第一項前段、第十条に従い犯情の重い斎藤渡に対する監禁罪の刑に従うべく、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条、第十条に則り刑期、犯情共に重い斎藤渡に対する強盗罪の刑に同法第十四条の制限内において法定の加重を為し、なお犯情憫諒すべきものがあるので、同法第六十六条、第七十一条、第六十八条第三号に従い、酌量減軽を為した刑期範囲内において懲役三年に処し、同法第二十一条を適用して原審における未決勾留日数中百五十日を右本刑に算入すべく、前記情状により同法第二十五条第一項、第二十五条の二第一項前段に則り本裁判確定の日より五年間右刑の執行を猶予し、その期間被告人高田を保護観察に付し、押収にかかる短刀一口(当裁判所昭和三四年押第二一六号の二〇)は原判示強盗殺人及び強盗の用に供したもの、また、日本刀一振(同年押第二一七号の一)、カービン銃一丁、廻転式五連発拳銃一丁、カービン銃実包十四発、拳銃実包七発、カービン銃弾倉二個(同押号の五ないし九)は原判示強盗の用に供したもの、又切出一丁(同押号の二)は原判示強盗、監禁の用に供せんとしたもので、すべて被告人大津の所有に属するから、同法第十九条第一項第二号第二項により、被告人大津からこれを没収し、訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第百八十一条第一項本文、第百八十二条を適用して、被告人大津、同山県、同高田に対し主文末項記載の如く負担せしむべきものとする。よつて主文の如く判決する。

(裁判官 三宅富士郎 東亮明 井波七郎)

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